職人や技術職を守護する神様として祭られている聖徳太子。
現代風にいえば、最新のテクノロジーを駆使して日本の技術力を高めた人物です。
長きにわたって日本の職人を守護してきた聖徳太子を祭る光徳寺は、「職人を守護するお寺」として有名になりました。
光徳寺の本堂に向かって左側には、太子堂があり、灯籠などには左官職の文字や鳶職の文字が刻まれております。
JR高崎駅の西側に位置する現在の高崎市あら町(あらまち)は、むかし大工町と呼ばれておりました。
廃仏毀釈の際に、大工の神様として祭られていた聖徳太子を移して守らなくてはいけない事態となり、当時の職人らによって、光徳寺に移されました。
当時の職人らによって建立された太子堂は、小さいながらも重厚さがあり、当時の職人の想いが詰まっているお堂になっています。
伝承によれば、聖徳太子は中国から伝わった建築の技術を使い、日本の重要な建築物を建てるなどした人物といわれております。
また、仏教を強く信仰しており、法隆寺などの有名寺院の建設に寄与して仏教の繁栄に尽力した人物ともされております。
大工が持っている指金(さしがね)という直角に折れ曲がった形の物差しがありますが、中国で生まれたとされるこの指金を日本に普及させたのが聖徳太子と言われております。
こうしたことから聖徳太子は、建築の神様として崇拝されるようになり、命日とされる2月22日には太子講の日として定められ、全国で講が行われています。
現在でも建設会社によっては、聖徳太子の掛軸を祀り、祭礼を行っているところがあるそうです。
注) 指金(さしがね)は、曲金(まがりがね)とか曲尺(かねじゃく)などとも呼ばれている。
円泉寺(埼玉県飯能市)所蔵の掛け軸
指金を持つ聖徳太子